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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)10610号 判決 1963年3月29日

原告

小林哲夫

被告

丸文交通株式会社 外一名

主文

被告東京陸運有限会社は原告に対し、金六五〇、三九〇円及びこれに対する昭和三六年一月一八日から支払済に至る迄年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告の被告東京陸運有限会社に対するその余の請求及び被告丸文交通株式会社に対する請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告東京陸運有限会社との間に生じた分はこれを二分し、その一を被告東京陸運有限会社の負担、その一を原告の負担とし、被告丸文交通株式会社との間に生じた分は原告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り、原告において金二〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告らは連帯して、原告に対し、金一、二四三、〇四〇円及びこれに対する昭和三六年一月一八日から完済に至る迄年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因及び被告らの抗弁に対する答弁として、次のように述べた。

一、原告は昭和三四年一一月一六日零時頃、国電新橋駅附近で被告丸文交通株式会社保有の小型乗用自動車(ルノー五九年型車体番号五―く六六〇五)に乗用した。而して、同被告の被用者にして運転者である訴外荻野幸三は右自動車を運転して同都千代田区神田神保町方面から水道橋方面に向つて、都営電車通りを時速約六〇粁で進行し、零時二〇分頃同区神田三崎町一丁目四番地先の交通整理の行われていない交差点にさしかかつた際、反対方向の水道橋方面から神保町方面に向つて進行してきた被告東京陸運有限会社(当時の商号松原運送有限会社)の被用者にして運転者である訴外鈴木清二が運転する右被告保有の普通貨物自動車(いすず五四年型車体番号一―あ一、三六五)と衝突し、そのため原告は右鎖骨の複雑性骨折、右腎臓破裂、肝臓破裂の重傷を負つた。

二、本件事故は被告らの保有する自動車の運転者である荻野幸三及び鈴木清二の過失が競合して惹起されたものであつて、原告はその共同不法行為によつて損害を被つたものであるから、右自動車の保有者にして荻野らの使用主である被告らは、その運行によつて、身体を害された原告に対し、連帯して損害を賠償すべきである。

三、原告は本件事故によつて次に、述べるような損害を被つた。

(一)  本件事故による傷害のため、昭和三四年一一月一八日より同年一二月二二日迄神保院に入院して右側腎臓の摘除、肝臓の結糸縫合及び右鎖骨骨折観血等の手術及び治療をうけ、さらに退院後も昭和三五年三月二〇日頃迄通院し、また、昭和三四年一一月二〇日より昭和三五年三月二〇日迄の間に江古田診療所にも通院して治療を受け、そのために支出した入院費、手術費、薬代等及びこれに付随する諸雑費は合計金二四七、八四〇円であつたが、そのうち金一三二、四五〇円を被告東京陸運有限会社から支払を受けたので、残額は金一一五、三九〇円である。

(二)  また、原告は訴外千代田生命保険相互会社に雇われ事務員として、勤務していたものであるところ、本件事故により昭和三四年一一月一七日から昭和三五年二月二八日迄欠勤したために、その間の賞与及び給料を合計二七、六五〇円減額されたのである。

(三)  原告は本件事故に基づく身体障害として、疲労が甚しく身体の調子の悪いときは顔面等に吹出物が発生し、季節の変り目には創口、腹部等に疼痛を感じ、その他諸々の後遺症が存し、寿命も恐らく五年以上短縮し、労働能力は著しく減少した。そのため、原告は将来労働によつて得べかりし利益を喪失したが、現在その賠償を受けるものとして、年五分の民事法定利率による利息を割引いてもその金額は三〇七、三五〇円を下らない。その算定根拠は次のとおりである。原告が勤務していた千代田生命保険相互会社には定年制が行われていて、その定年は五五才であるところ、原告は本件事故当時二九才であつたので定年迄に後二六年あり、その給料は月額二〇、四九〇円であつたが、その後昇給した。ところが原告が本件事故による身体障害のため昭和三七年一一月末日迄に欠勤した日数は事故に引続いての入院及び退院後の通院のための欠勤を除外しても一一二日であり、右欠勤状況から推測すると、今後定年までに身体障害のために六二五日欠勤しなければならないものと推定される。またそれに伴つて、諸手当及び賞与が減少することも予想されそのほか、原告は身体障害のため残業も著しく困難になり、転任にも支障をきたすので、昇給昇格の上で著しい不利益を被るべきことはみやすい道理であつて、これらの点をも勘考すると、原告が本件事故によつて喪失した得べかりし利益は莫大な額に達するが、これを具体的に算出することは困難である。かような場合にはその額を労働基準法第七七条所定の別表第一及び同法施行規則第四〇条所定の別表第一に基づく障害補償額に準拠して算出するを相当とする。

もとより労働基準法所定の障害補償の制度は労働政策上労働者が業務上負傷し又は疾病にかかり治癒したけれども身体に障害が存する場合に、労働力の再生産及び当該労働者ないしその家族の生計維持の目的から一定の額の金員をもつて補償するにあるから、民法及び自動車損害賠償保障法所定の損害賠償制度と異なり実際に受け、または受けるべき損害の有無を問題としないものであるけれども、その補償額は少くとも通常その程度の得べかりし利益を喪失するものとして算出したものであることは明らかであるから、その額は民法及び自動車損害賠償保障法所定の障害による損害額の算定の基準にもなりうるものといわなければならない。然るところ、原告は前述のように本件事故のために一側の腎臓を失つたものであるからその障害は労働基準法第七七条所定の別表第一及び同法施行規則第四〇条所定の別表第一に掲げる第八級に該当し、従つて、その金額は平均賃金の四五〇日分すなわち、金三〇七、三五〇円となる。

(四)  原告は本件事故により前記のような障害を被り、かつその後遺症が存するために精神上の苦痛を被つているのでこれを慰藉するには金一、一〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。そこで本訴においては慰藉料として金七九二、六五〇円を請求するものであるが、もし、右(三)の受べかりし利益を喪失したことによる損害が認められないとすれば、右慰藉料全額金一、一〇〇、〇〇〇円の支払を求めるものである。

四、被告等主張の抗弁事実はいずれもこれを否認する。

本件事故は荻野幸三及び鈴木清二の前方注視及び徐行義務に違反する運転によつて惹起されたものである。

五、よつて、原告は被告等に対し、金一、二四三、〇四〇円並びにこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三六年一月一八日以降完済に至る迄年五分の割合による法定遅延損害金の支払を求める。(証拠省略)

被告等訴訟代理人はいずれも原告の請求を棄却する。との判決を求め、答弁及び抗弁として次のとおり述べた。

一、原告主張の一の事実を認める。

二、原告主張の二の事実中、被告等が原告に対して損害賠償義務を負担するとの点を争い、その余の点を認める。

三、原告主張の三の(一)の事実中、原告が本件衝突によつて負傷したために、その主張の頃神保院に入院して手術治療を受けた点及び被告東京陸運有限会社が原告に対してその費用に充てしめるために金一三二、四五〇円を支払つた点はいずれもこれを認めるがその余の点は知らない。同(二)の事実は知らない。同(三)の事実は知らない。仮りに原告が本件衝突による身体障害のために得べかりし利益を喪失し損害を被つたとしても、その損害額を労働基準法及び同施行規則に基づく障害補償額に準拠して算出するのは不当である。蓋し、右障害補償の制度は労働者の労働力の再生産と当該労働者ないしその家族の生計維持を目的とする社会政策的立法であつて、補償額の算出方法は、実害を問題としていないのに反し、民法及び自動車損害賠償保障法の損害賠償は現実に生じた損害の賠償を目的とするものであるから、その金額の算出方法について全く類似の点がないからである。

四、被告丸文交通株式会社訴訟代理人は抗弁として次のように述べた。本件衝突は被告東京陸運有限会社の運転者鈴木清次の後記過失に基因するものであつて、被告丸文交通株式会社の運転者荻野幸三は自動車の運行に関し注意を怠らなかつたものであり、また同被告保有の自動車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつたものであるから、同被告には損害賠償の責任はない。鈴木清次は本件事故の当夜、普通貨物自動車を運転して前方を進行する乗用自動車に追従し、時速約四〇粁で進行しながら本件事故現場の交差点に差蒐つたところ、同交差点において、前行乗用自動車が急停車して右折の合図をした。自動車の運転者としては、かような交差点を通過する場合には、予め前行車との間に適当な距離を保ち、前行車の動静如何によつては急停車してこれとの接触を回避しうる程度に減速徐行すべきであるしまた、前行車が右折しようとして急停車したときはその右折を妨げるような中央軌道敷内の通行は避けるべきであり、やむを得ず軌道敷内を通行するにしても、前方及び左右の車馬の動静に深甚の注意を払い、軌条による滑走等の事態を避けるためにハンドルの操作を慎重にしながら徐行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、鈴木清次は漫然と同一速度で交差点に車を進めたところ、前記のように、前行車が急に停車して右折の合図をしたので、前方及び左右の車の動静に深く思いを致さず、咄嗟に、前行車の右側を通過すれば、これとの衝突を回避しながら右交差点を通過し得るものと軽信し、急拠、中央軌道敷内に進出し、同時に減速の措置を講じたけれども操縦に慎重さを欠いたことも原因となつて軌条によつて自動車が滑走し、操作の自由を奪われて軌道敷右側(進方行向に向い)の車道に乗入れたため、折柄反対方向から原告を搭乗させて進行してきた被告丸文交通株式会社保有の小型乗用自動車に自車の右前部を衝突するに至らしめたものである。(証拠省略)

理由

一、原告主張の日時場所において、被告丸文交通株式会社の自動車運転者萩野幸三の運転する同被告保有の小型乗用自動車と被告東京陸運有限会社(当時の商号松原運送有限会社)の自動車運転者鈴木清次の運転する同被告保有の普通貨物自動車とが衝突し、右小型乗用自動車に搭乗していた原告がその主張のような傷害を被つた事実は当事者間に争いがない。してみれば被告等は自動車損害賠償保障法第三条但書所定の事由がない限り、右衝突事故のため原告の被つた傷害に伴う損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

二、よつて、被告丸文交通株式会社の、同被告が損害賠償責任を負わないとの抗弁について判断する。成立に争いのない甲第一号証、第二号証の一ないし四、第三号証、第四号証の一、二、及び第五、第六号証、証人星野英雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第一、二号証、証人萩野幸三の証言、原告本人尋問の結果(第一回の一部)並びに弁論の全趣旨を綜合すると、本件事故は被告丸文交通株式会社の主張するとおり、専ら被告東京陸運有限会社の自動車運転者鈴木清次の過失に基因するものであつて、同人の過失の態様もその主張のとおりであり、被告丸文交通株式会社側には過失はなく、その際の運転者萩野幸三は、運転に関して注意を怠つていなかつたこと及び同被告保有の小型乗用自動車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことが認められる。なお、原告は、本件事故の当時萩野幸三が運転していた小型乗用自動車は時速約六〇粁で進行していたと主張するけれどもこの点に関する原告本人尋問の結果は信用できず、却つて、前認定に供した各証拠(原告本人尋問の結果を除く)によると、その時速は約四〇粁であり、萩野幸三は鈴木清次の運転する普通貸物自動車が反対側から中央軌道敷を乗り超えて進行車道に進入してきたので、それを避けるために急停車の措置を講じたけれども及ばず衝突したものであつて、当時の措置としては、特にとがめるべきものがなかつたことが認められる。以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。してみると、被告丸文交通株式会社は原告が本件事故によつて被つた損害を賠償する責任がないから、同被告に対する原告の請求は、他の争点について判断するまでもなく失当として排斥を免れない。

三、そこで、被告東京陸運株式会社に対する関係において、原告の被つた損害について判断する。

(一)  まず、原告主張の三の(一)の点について考えるに、成立に争いのない甲第七号証、原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる同第八ないし第二一号証、及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すると、原告は本件事故のため、その主張の期間その主張の病院に入院ないし、通院し、そのために、入院費、手術費その他の治療費等の費用金二一二、七六〇円、附添看護料として金二一、三〇〇円、炭代五七〇円、本人及び家族の通院車代荷物運搬費、通信費その他の諸雑費合計一三、二一〇円合計二四七、八四〇円を支出した事実が認められるので、同金員は本件事故によつて原告が被つた財産上の損害というべきである。しかし、その後、被告東京陸運有限会社から右金員中へ金一三二、四五〇円の弁償がなされたことは当事者間に争いがないのでその残額は一一五、三九〇円である。

(二)  次に、原告主張の三の(二)の点について考えるに証人小林稔正の証言により真正に成立したものと認められる甲第二二号証、証人小林稔正の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すると、原告は本件事故のために昭和三四年一一月一七日から昭和三五年二月二八日まで勤務先の千代田生命保険相互会社を欠勤したために、給料及び賞与を合計金二七、六五〇円減額された事実が認められる。

(三)  次に原告主張の三の(三)の点を検討する。前掲甲第二二号証、原告本人尋問の結果(第二、三回)から真正に成立したものと認められる同第二三号証、証人小林稔正の証言及び原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)を綜合すると、原告は本件事故のためその主張のような身体障害を被つているためにその主張のような後遺症が存し、寿命も短縮し、労働能力が著しく減少したこと、それが主な原因で、原告がその主張の頃その主張の日数千代田生命保険相互会社を欠勤したこと、それらの事実から原告が本件事故のために定年までにその主張の日数欠勤するであろうということも条理上考えられなくはないこと、同会社には、定年制が行われていて、その定年は五五才であること、原告は本件事故当時二九才で定年までに二六年あり、当時の給料は二〇、四九〇円であつたこと、昭和三七年八月当時の基準給料が月額三四、〇〇〇円前後で、扶養手当を含めると月額三六、五〇〇円前後であること、及び原告が本件障害のために、その勤務先において、その主張のような不利益を被るであろうことが予想されること等の事実が認められる。以上の事実によれば、原告が将来労働によつて得べかりし利益を喪失したことは明らかである。而して以上の事実に原告の障害が労働基準法第七七条所定の別表第一及び同法施行規則第四〇条所定の別表第一の第八級の障害たる一側の腎臓を失つていることも斟酌すると、反証のない本件においては、原告が本件事故のために原告が失つた得べかりし利益は、民法所定の年五分の利率による利息を割引いても事故当時の給料の四五〇日分を下らないものとみるを相当とする。なお、労働基準法所定の障害補償制度は被告等主張のとおり、労働力の再生産と当該労働者ないしその家族の生計維持を目的とするものであるけれども、その補償は、当該労働者の負傷等によつて労働能力が減少し、賃金所得が減少することを前提とし、これによつて、労働力の再生産と当該労働者ないしその家族の生計維持に支障をきたすことあるものとし、これを補償するにあるからその金額は右の趣旨の補償につき必要最少限の額を形式的、一律に法定したものであつて、一般的にいつて、障害がなかつたとすれば、取得したであろう賃金額から民法所定の年五分の利率による利息を控除した金額を上廻ることは特殊の場合以外にはないものとしていることと解せられ従つて右の補償額は本件のような身体傷害によつて得べかりし利益を喪失した場合の損害額算出の一資料とするになんらの支障もない。

(四)  最後に、原告主張の三の(四)の点を検討する。本件事故によつて原告が前示傷害を受け、前示のような後遺症がある以上、肉体上精神上多大の苦痛を被つたのみならず、将来の健康にも、俸給生活者としての前途にも不安の念を懐いていることは困難でないが、これらの事情と前認定の衝突の状況、鈴木清次の過失の態様その他一切の事情を斟酌するときは慰藉料の額は金二〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

四、以上の次第で、被告東京陸運有限会社は原告に対し、本件不法行為による損害賠償として、合計金六五〇、三九〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明かな昭和三六年一月一八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、原告の、被告東京陸運有限会社に対する請求は右認定の限度で理由があるから、これを認容しその余は失当として棄却すべく、又被告丸文交通株式会社に対する請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき、同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田実)

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